㈱アビオス 田中良彦
Tanaka Yoshihiko
世界の大谷選手は言うまでもありませんが、ゴルフ好きの私の一番は、昨年4月に日本人初となるマスターズ制覇を成し遂げたプロゴルファー松山英樹選手をあげたい。
 泣かない男が勝って初めて泣いたシーンはいまでも思い出すと胸が熱くなる。彼の元キャディーの進藤氏曰く、悔し涙は何度も見たが12回の優勝経験で流した涙は1度も見たことがないと言っていました。そのくらいマスターズ制覇への思いが強かったということでしょう。 実況を担当していたアナウンサーと、解説の二人のベテランプロゴルファーの3人が感動して放送にならなかったシーンは一生私の記憶から消えないと思う。
 感動ついでにもう一つ、マスターズに日本人が初めて出場したのは今から81年前で、最も多くの出場回数は19回のジャンボ尾崎選手です。ただし、彼ら以上にオーガスタナショナルの芝を踏んできた男がいる。その回数34回、ゴルフフォトグラファーカメラマン宮本卓氏である。世界中の美しいゴルフコースを知る男、世界の一流プロゴルファーを撮ってきた男。 彼曰く、ここの美しさは別格であり、ここでトップに立つ選手の輝きは特別だそうである。 ジャックニクラス、タイガーウッズの全盛期を撮り続けてきたからこそ知る世界のトップの凄さ、タイガーコールを知る彼だからこそ、頭の中には日本人が表彰台に上る姿が想像できなかったそうです。
 ところが、2012年にアマチュア時代の松山君が、アジア勢として初めて表彰台に上った時から、それは夢にさえなかったものが実現するかもしれないという希望へと変わっていったそうです。すぐにその若武者は戦場を世界へと移します。どっしりと米国に腰を下ろしその結果2016年世界ランク6位、2017年5位とそのランクを最高にあげるも、その頂へはあと一歩のところで届かないのである。2018年24位2019年20位2020年は19位、彼のような逸材をもってしても日本人には無理なのかとあきらめかけていた時の快挙です。今回の渡米は己の体力的な衰え、コロナ渦であるがゆえの隔離期間や様々な障壁のわずらわしさから直前まで渡米するかどうか迷ったそうです。そのかいあって、最終日トップでプレーする日本人選手の姿が現実に彼の目の前で起きたのです。
 しかし、このコースで最後までトップで走ることの難しさを知る彼だからこそ、16番まで松山選手から離れられずにそばで見守っていたそうです。いよいよ優勝を確信したとき18番ホールに先回りしたつもりが残念ながらそこはすでに他国のカメラマンたちが陣取っていて彼の入るスペースなど全くなかったといいます。あきらめかけたその時、「hey!taku!please!」表彰台に上る日本人を追い続けて毎年オーガスタナショナルに通い続ける彼を知る、外国のカメラマン達がその大きな体を寄せ合ってその日1番の最高の席をわざわざあけて用意してくれたそうです。