公募原稿

16時の贈り物

税理士法人福岡中央会計
代表税理士 瀬戸 英晴
Seto Hideharu

 陳列棚の商品、衛生環境やインフラ、そして医療、これらが「有る」ことに、いま私たちは改めて「有難い」と思います。待ち時間が長いといっては不平を言い、商品が切れていればクレームを入れる、そういう生活を一変させたのが今回のコロナ禍ではなかったでしょうか。「有って当たり前」の生活では気が付かなかった、無数の社会の支え手に、改めて思いを致す機会とも言えましょう。

 『ビジネスパーソンが介護離職をしてはいけないこれだけの理由』(酒井穣著)に、あるサラリーマンの認知症の母親が、毎日夕方16時になると自宅か
らいなくなってしまうという話が紹介されています。
母親は数時間後、自分で帰ってくることもあるのですが、行方不明になって警察から連絡が入ることもありました。同居して介護をしていた息子は、毎日
16時までに自宅に帰る必要に迫られました。外出をやめさせようとすると、母親は息子に暴力をふるうようになります。地獄の16時を毎日自宅で過ごしていた息子は、悩んだ末にベテランの介護職に相談しました。
 その介護職は、母親の兄に連絡をとり、16時という時間は、まだ幼かったころの息子が、幼稚園のバスに乗せられて帰ってくる時間ではないかというヒントを貰いました。
 そこで、この介護職は、16時に出ていこうとする母親に対して「今日は、息子さんは幼稚園のお泊まり会で、帰ってきませんよ」と伝えました。お泊まり会の通知の偽物まで作っていたそうです。母親は、通知を見ながら「そうだったかね」と言い、部屋に戻っていったのです。他人から見たら徘徊にすぎない外出は、母親にとっては、愛する息子に寂しい思いをさせないための行動だったのです。これ以降、16時には介護職が自宅に来て、同じ説明を繰り返すだけで、母親は勝手に自宅から出なくなったという話です。

 息子は、母親の住んでいた世界に入ることで、母親からずっと「贈り物」を受け取り続けていたことに気付いたのです。
 近内悠太さんは、著書『世界は贈与でできている』のなかで、この逸話を引いて、私たちの社会が無数の贈与によって、ようやく支えられていることを語っています。見返りを求めない贈与は普段は気付かれないで、必ず遅れて気付かれるのだとも。
 私たちに静かな心境の変化があるのならば、それは今の試練の贈り物かもしれません。