この文面を書いているのは、8月で夏の甲子園大会が終わったころです。智弁和歌山と星稜の試合も印象的でした。金属バットも改良され飛ぶバットになったのでしょうか。それとも筋トレで飛ぶようになったのでしょうか。今は、投手も160キロ投げる高校生のピッチャーもいる時代です。そのスピードボールをよく当てるなぁとつくづく思います。
さて、そのMAX162キロ投げる、大船渡高校の佐々木投手。地方大会の決勝戦、前日、129球投げたので1球も投げず夏がおわりました。野球解説者の張本氏は、「ケガが、怖いならスポーツ選手辞めたらいい」と言っていましたが、張本氏は、昔の方なので多少理解できます。

 私も小学校3年くらいから野球を始め、投手をしていましたが、当時変化球OKの時代でかなり多投していました。その結果、中学あがる時、右ひじは、変形し80度くらいしか曲がらず右指は、右肩につきませんでした(今でもつきませんが)。それでも中学では野球をし、1試合投げると2、3日、腕が上がらない状態でした。違う中学でしたが、友達も投手をしていて肩に針を打って登板していました。彼も高校上がる時、肩は、ボロボロでしたね。お互い高校では、野球をせず、いや、できませんでした。二人とも、違う部活に入り、ある程度の結果は、残しましたが、今でもたまに会うと、高校くらいまでは、野球をしたかったなあとよく話をします。当時は、水は飲むな、肩冷やすな、肩肘痛ければ投げて治せ、そんな時代で、今では考えられません。張本氏が語るように「ケガが怖いなら」の言葉のように本当に実力があり、運のよい人しかプロには、上がれません。消えた天才みたいな人は、昔はたくさんいます。

 

 さて、大船渡高校の佐々木投手は、本当に故障していたかもしれません。プロには行くとは思います。地区予選の決勝戦に登板していれば勝敗は、どうなったかわかりませんが、決勝戦に投げなかった事は、一生悔いが残るのではと思いました。その点、星稜高校の奥川投手は、きつかったと思いますが、最高の夏だったと思います。
 体が壊れても仲間とともに甲子園を目指すのか、先を見据えて登板を回避するのか、皆さんは、どう思いますか。