日本の歴史、世界の歴史、と現代社会にいる私たちにとって歴史とは?教育、文学、知識、雑学、などと様々な分野で大切に扱われています。特に一般サラリーマンの私たちが何を学ぶか、その学ぶ人の目的によってまた違った角度で読まれていくのだろうと思います。
私が歴史小説に出会ったのは、22歳で結婚したばかりのある日、お世話になっていた先輩に「宮島君は読書はしますか?」と聞かれ「いや本どころか新聞もろくに読んでないです。」と私。「そうか、新聞くらいは社会人として読まなきゃだめだな、ついでに小説なんか読んでみたらどうだ?」と勧められました。先輩曰く「営業マンであれば司馬遼太郎の“竜馬がゆく”好きになれば幕末誌を広げればよいし、管理職を目指すのであれば、吉川英冶の“三国志”これは難しいかな?」と、いろいろ教えられ 無学だった私は、少しチャレンジしてみようかと思いその難しい“三国志”を読み始めました。仕事中の移動時間や自宅で就寝前に読むという多くない読書タイムで、1巻を読むのに2年くらいかかりました。人の名前がたくさん出てきて、場面が、コロコロ変わり、何がなんだかさっぱりといった感じでスタート。読むと眠たくなりちっとも前に進まない。2巻目以降は少しペースが速くなり、でも結局全8巻を読むのに3年かかりました。それからというもの次から次へ幕末ものいろいろ、土佐藩、長州藩、薩摩藩、日清戦争、日露戦争時代、太平洋戦争、そして戻って戦国時代もの織田信長、秀吉、山岡荘八の徳川家康28巻これは凄く長かった。その他、山内一豊、真田一家、などなどなど…読みあさり、面白いものは2度読みもしました。三国志にいたっては3度も読み返しました。
そんな中、私は痛烈に感じ入ったものがあります。それは徳川家康の哲学です。家康が大阪夏の陣で勝利し戦後の処理を板倉勝重と話してるときに勝重に説いた“天命、宿命、運命”この三つの違い、運命をお盆にのった茶碗にたとえ、そのお盆のふちの部分を宿命にたとえ、そのお盆がある世界そのものを天命にたとえる。“ほほう、なるほど、お盆のふちまでは自分自身でコロコロと転げることができる、即ち運命は自身で変えることができる、また、お盆の大きさを変えることも容易ではないが可能性はある”自分自身の努力で、運命に変化をもたらし、さらに徳をもって器を広げ宿命にも影響させていくことができるのだ。と
これには感銘しました。
また、“人の心の動きを読む”という営業マンにとって最も大切な知恵という部分でも大変参考になる事例は山ほどあります。例えば、遡って、関ヶ原の戦い前、関東小山で家康は本来敵方である豊臣恩顧の武闘派の武将たちを説き伏せ、東軍へ加担させた。そして後詰めの家康は、先陣が到着し滞陣している清洲城へ一向にやってこない、そこへ村越茂助が家康の使者としてやってきた“各々方は家臣にあらず、お味方でござる何とてここで手をこまねいておわすや・・・云々”と口上を述べさせた。皆が清洲城に滞留して、家康の到着を待っているときの話です。皆の気持ちの中では“家康は大将として首謀者的な存在”、当然、家康が来ないと戦は始まらないと思い疑心暗鬼に陥ろうとしていたときに、“あっ、そうであった、何を勘違いしていたのか、自分たちが率先、口火を切るべきであった”と 家康一人の決起ではないことを示し、同時に、皆の結束を固めることも成し遂げ、さらに家康軍を無傷で参戦させるというまさに快刀乱麻、なんと思慮深い行動だろうか。
他に三国志に登場する諸葛孔明、偏った観方かもしれませんが、この人の思慮深さ、厳しさ、作戦における大局眼と謀の深さ、五丈原で孔明が逝きその後のことも各部署の皆隅々まで行き届いた指示をあたえて、その死後30年も蜀の国を保たせることができている。わたくしも組織を運営していく上で非常に役立たせていただいております。孔明こそはわたくし生涯の師匠とも言える人物です
このメジャーな方々以外にもたくさんの歴史上の武将や軍師に習うことは多く、現代社会を生きる今、私たちに名を残すどころか生き方まで教えてくれる、こんな歴史を、学ばないことはない。これから日本の社会を支えていく若者達にも、是非、このような歴史に触れる場があってほしい。どんな歴史でもかまわない、自分に役に立つような読み方を是非してほしい。いずれ、みなさんが、歴史を作るのだから。