マイオアシス
 私は長年にわたり趣味と聞かれれば、ゴルフとへぼ碁と記してきましたが、 8年前より腰痛のためゴルフに興味をなくし替わって「俳句」に手を染めました。
 有馬朗人(ありまあきと)さんが昨年 12月亡くなられました。物理学者・東大学長・文部大臣歴任の傍ら俳人として高浜虚子(たかはまきょし)に学んだ山口青邨(やまぐちせいそん)に長らく師事し、平成 2年より「天為」(てんい)という自らの俳句結社で多くの人に俳句の指導をしてこられました。また、国際俳句交流会の会長として俳句を海外に広められてもきました。昨年の句に「杜甫(とほ)の詩を我親しめば紙魚も又」があります。古い杜甫の詩集を親しく頁をめくれば紙魚がいたという句です。紙魚とは夏の季語で、衣類の糊や和紙などを好む原始的な昆虫の総称です。その虫にも親しみを覚えたという俳人の心の優しさが伝わってきます。
 その氏と身近な関わりとしては、19年目となる宮若市全国俳句大会の選者のひとりとして、当初より昨年まで務められました。「花菖蒲夜は翼のやはらかし」という朗人さんの立派な石の句碑が楠水閣近くの桃源郷公園にあります。脇田温泉の犬鳴川沿の俳句の道にある木製の句碑133基には、毎年選者とその年の入選句で書きかえられています。
 平成 29年6月、私は東区の若宮小学校で5年生2クラスでの俳句の授業をする機会があり句会をしました。一週目は俳句の作り方や鑑賞の仕方を話し、最後に夏の代表的な季語を黒板に書き、この中から好きな季語を選んで各自2句以上を詠み担任の先生に提出(出句)(しゅっく)を宿題としました。先生には、その全員の句を名前を伏せて一覧にしたコピーを準備してもらうように打合せておきました。
 二週目は「句会」です。そのコピーを配布し全句の中から、良いと思う句を 20分間で各自選句して選句用紙に書き提出(互選)(ごせん)してもらいました。この選句用紙を読み上げる(披講)(ひこう)は私。読み上げられた俳句の作者は大きな声で自分の名を名乗る事が披講のルール。そこではじめて誰の句かが皆にわかります。読み上げるたびに、さやか、きな、かな、と元気な声で名乗ります。俄然教室がざわついてきました。その都度先生が机に“よくできました桜マーク”のシールを貼って回り、三度名乗れば3点句として3枚のシールが貼られます。最後に高得点句3句を再度読み上げ、歓声と拍手で授業は終わりました。授業終了後、校長先生と担任の先生に今日の句を宮若市の全国俳句大会の締め切りが今月末ですので、是非応募されるように勧めておきました。後日、みなさんからのお礼の手紙が担任の先生より届きましたが、楽しい授業に参加できたことに私の方こそ感謝です。季節を感じる児童の感性に私も喜びを得たものです。
 後日の9月18日、その宮若市全国俳句大会当日に県知事賞となった清和さやかさんとご両親を受賞句「あじさいを山とし登るかたつむり」の句碑の前で写真を撮りました。他に2名の生徒さんが入選でした。喜びを分かち合いました。因みに当時の脇本孝枝校長先生は退職後俳句を始められて、私が世話する若宮俳句会の常連として楽しまれています。
 新型コロナで吟行(ぎんこう)も句会も中止の昨今は、結社誌などの投句に毎月50句読むのに難儀しています。しかし、入選句が活字になった時の喜びはパープレーに似て、特選句となればバーディー、大きな大会であればホールインワンです。