親父が還暦を迎えた。先日家族でささやかながら祝い事をしたときに振り返り、考えたことをお伝えさせていただきます。
 恥ずかしがり屋で意地っ張り、カッコつけな親父なので、絶対にちゃんちゃんこを着たがらないと予測したので、兄貴と考えて特注デザインのポロシャツを贈った。
 主役になるのが苦手なためぐずぐず言って、予想通り恥ずかしそうにしながら着ていた。
しかし、こんなに幸せそうな親父の顔を見たのはいつぶりだっただろう??
 考えていると、実家が建ったときのことを思い出した。親戚が集まり首に赤いタオルを巻いて棟上げをしたときの親父は、幸せそうで偉大であったことを覚えている。
 新居へ引っ越した私たち夫婦の転居祝いも兼ねて行った還暦祝いだったが、偶然にも25年前に実家で棟上げをした日と同じであることにお袋が気づき不思議なものを感じた。
 
 親父に対する幼少期の記憶では、目が覚めると家にはおらず、晩御飯も寝るときもいない。家に帰ってきているかもわからない。だが、なぜかたまにいると思えばキャンプやスキー、魚釣りなど、とにかくどこまででも遊びに連れて行ってくれた。ときには学校をさぼってでも(笑) しっかり影響を受けた私たち兄弟は休日の度に出かけてしまっている。
 ほとんど家にはいなかったが、親父=大黒柱という存在感が家族を支えてくれてきた。
 
 進学のときも就職のときも親父は反対しなかった。好きなことを気のすむまでやらせてくれた。
お袋を泣かせた事もあるバカ息子な私でも、見捨てずに育ててくれた。だから私も中途半端でケツを割ることは嫌い、何事にも全力で取り組むようになっていった。社会人になり結婚し、日々学んでいる大切なことは実は幼い頃から親父が背中で語り続けてきてくれていたのだと感じている。
 
 しかし不器用なくらいに意地っ張りで頑固な親父はお袋とすぐにもめる。喧嘩ばかりで不安にも思うが、不思議なバランスでお袋とは支えあっている。

そこには2人にしかわからない思いやりがあるからだと現在は思っている。
 厳格があり、古き良き「親父像」は現代ウケしないかもしれないが、私は善き教えを受けていたと感謝しており、時代に流されず大切な想いや姿勢は継承していきたい。
 あっという間に還暦が迎えられるよう、遊びも趣味も全力で楽しみ、信念を持ってひたむきに仕事に打ち込み、私が還暦を迎える30年後は親父のような幸せな顔でありたい。
 だが、洗濯機も回せず、アイロンもかけられない、得意料理はゆで卵くらいの親父は、さらに偉大なお袋に支えられている。。。