私の父は建設業の営業として35年、昼夜を問わず仕事に打ち込んできた「仕事命」の人である。私が子供のころは休日父に遊んでもらったという思い出がほとんどないが、たまに職場に連れて行ってもらい、大きなトラックに乗ったり、お取引先の工場見学をしたりと社会見学をさせてもらった記憶がある。父が生き生きと働く姿は頼もしく、大人になったらこのようにして一生懸命働くのか、と背中を眺めたものだ。
その父もまもなく定年を迎えるのだが、数年前から人が変ったように趣味に没頭するようになった。それは「家庭菜園で採れたものを料理すること」である。きっかけは、とある健康診断で「このままでは命の保証はない」と宣告を受けてのことだったらしい。不眠不休で仕事に打ち込んだり暴飲暴食などの不摂生が祟ったりなどが重なり、体が悲鳴をあげていたのだ。
早急に見直すべきは食生活ということで、野菜を中心に摂るようになったのだが、凝り性の父は庭に畑を作った。食事を大切にしだしたことで、自分で作った野菜を美味しく頂きたいと思ったのだそうだ。最初は失敗もしたようだが、今や無農薬で大根やホウレンソウ、ブロッコリーはもちろん、梅やさくらんぼの木を植えジャムや果実酒まで作るようになった。仕事一筋で、包丁を持つ姿はおろか、野菜を持つ姿すら見た記憶がなかったため、エプロン姿の父を見たときは衝撃的だった。
父が作ったものを囲んで家族や父の友人が集まる日が増えた。皆で料理を味わい、この大根はなぜこんなに甘いのかとか、さくらんぼは好きな時に取りにくればいいなど会話が弾み、父はいつも自慢げに誇らしげに、武勇伝(?)を語る。仕事以外でも生き生きと笑うのだ、と娘としては内心ほっとしている。
「仕事が一流の人間は趣味も一流に楽しめる」と以前本で読んだことがある。中途半端でなく突き進めば、新しい発見があったり技術が上達したりするうちに、ある意味一つの目標や希望となり、視野が広がるきっかけを与え、充実感を得ることができるとあったが、これを父が実証し教えてくれたように思う
体の赤信号がきっかけで始めた菜園が、今や生きがいとなり、人を集め、友達が増え、父を支えてくれているからご縁とは不思議なものだ。よくセカンドライフについての特集などをメディアで見かけるが、意外と身近にヒントが隠されているのかもしれない。私も父を見習い心から楽しめる趣味を見つけ、生き生きと暮らしたいと感じるこの頃である。