私の故郷は、紀州南高梅で有名な和歌山県です。両親が共に和歌山出身であり、私が小さいころは毎年夏休みになると、両家の祖父母の家に泊まりで遊びに行っておりました。
小さいころは、和歌山の良さは、全くわかりませんでしたが、大人になると和歌山の良さが身に染みてわかりました。和歌山には、世界遺産の熊野古道があります。
小さいころは、和歌山の良さは、全くわかりませんでしたが、大人になると和歌山の良さが身に染みてわかりました。和歌山には、世界遺産の熊野古道があります。
熊野古道には、紀伊山地の、「熊野三山」「高野山」「吉野・大峯」という三つの霊場があり、そこで、自然崇拝に根ざした神道、中国から伝来し日本で独自の展開を見せた仏教、その両者が結びついた修験道など、多様な信仰の形態が育まれてきました。2004年7月に、この三つの霊場とそれらを結ぶ参詣道、そして自然と人の営みが長い時間をかけて形成した文化的景観が、人類共有の財産としてユネスコに認められ、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されました。田辺駅を降りると、リュックを背負った日本人や外国人がいっぱいいて、とてもびっくりした記憶があります。
そして、食べ物で言えば、冒頭でも述べましたが、紀州南高梅も有名です。和歌山県では、江戸時代、紀州藩田辺領下において農民がやせ地は免租地となることから、そこに梅を栽培したことが本格的な梅栽培の始まりと言われています。また、田辺領(城代家老 安藤直次)がやせ地を利用した梅の栽培を奨励し、保護政策をとったため、田辺、南部地方を中心に広がったとも伝えられています。
明治初年頃から梅干製造業者も出現し、明治10年代にはコレラ、赤痢などの流行があったこと等から梅干しの需要が多くなったそうです。梅の栽培が急激に増加したのは、明治40年以降です。これは、日清・日露戦争による軍用食としての梅干し需要の増加によるものが大きかったそうです。
戦後、社会経済の復興とともに、果実類の需要も増加し、梅の栽培も昭和30年代以降は、栽培面積の増加や自然食品や健康食ブームなどで急速に伸びていき、現在は、質、量とも日本一を誇る産地となっているそうです。
その他、有田のみかんや湯浅の醤油、白浜海岸、パンダなどまだまだ書ききれない事がたくさんあります。新大阪から特急くろしおに乗り、2~3時間で和歌山に行けます。もし、ご旅行など考えておられる方がおられましたら、是非、和歌山を候補に入れて頂ければと思います。きっと、満足して頂けるはずです。
戦後、社会経済の復興とともに、果実類の需要も増加し、梅の栽培も昭和30年代以降は、栽培面積の増加や自然食品や健康食ブームなどで急速に伸びていき、現在は、質、量とも日本一を誇る産地となっているそうです。
その他、有田のみかんや湯浅の醤油、白浜海岸、パンダなどまだまだ書ききれない事がたくさんあります。新大阪から特急くろしおに乗り、2~3時間で和歌山に行けます。もし、ご旅行など考えておられる方がおられましたら、是非、和歌山を候補に入れて頂ければと思います。きっと、満足して頂けるはずです。